才木海翔投手(ドラフト)の気になる中学高校の実績素行と小園選手との関係は!
いよいよ今年のドラフト会議がはじまりますが
注目の投手がいます。
その選手はプロ注目投手の大阪経済大学の才木海翔選手です
が、今回は才木投手について調べてみました。
才木海翔投手の記事は
関西六大学野球秋季リーグ戦 第7節2回戦 大経大2―1大院大 ※タイブレーク11回
(2022年10月18日 マイネットスタジアム皇子山)
大経大が大院大に連勝。4連勝締めでシーズンを勝ち越しで終え、
3位以上を確定させた。
20日のドラフト候補で最速153キロ右腕の才木海翔(4年=北海道栄)
は登板機会なしも、16日の大院大1回戦では7回2安打無失点の好投で
勝利の立役者に。「最後が良ければいい。おとといああいうピッチングが
できて良かった。寂しい気持ちはありますけど、野球部としていい結果は
残せましたし、締めくくりとしては良かったんじゃないかと思います」
と4年間を振り返った。
運命のドラフト会議に向けては「緊張します。あんまり
考えたくないです(笑い)」と胸の内を明かした。
(出典:スポニチアネックス)
https://news.yahoo.co.jp/articles/b5e01670afb69b8b582ac444380d657a9d8fd841
才木海翔選手の中学高校時代は
才木海翔選手は、庄内小学校3年時に庄内ゼッツ野球クラブで野球を始め、
小学校5年生から本格的に投手として活動されています。
昔から石を投げて遊んでた影響で、チームでは一番肩が強かったそうです。
幼少期は、テレビゲームとは無縁な活発な少年でした。
豊中第六中学校時代は、大阪の中学硬式クラブは激戦区で
「練習がキツイのは嫌やった」と準硬式野球部に入部しました。
才木海翔選手は自身の中学時代を振り返り「楽な道に逃げていた」
とコメントしています。
才木投手の高校時代の実績は
才木海翔選手じゃ北海道栄高校に越境しますが
の高校時代は2年秋からベンチ入りをし、秋季北海道大会では
背番号10ながら7試合中6試合に登板され、合計26.2イニングで
23奪三振 3失点 2完投1完封 防御率1.01でした。
当時から球速は143㎞を記録しています。
3年春から背番号1をつけ、3年夏の南北海道大会の準決勝で駒大苫小牧に3対4で負けました。
3年夏は札幌光星戦まで室蘭支部予選から1人で投げ抜き、北海道栄高校を14年ぶりに
南北海道大会4強入りに貢献されています。
才木海翔選手は、元々胃が小さくご飯を食べられなかったそうで、高校時代は
たくさん食べるように指導されてたそうです。
高校では最速145㎞を記録し、北海道注目投手で複数球団が何度も視察し
スカウトから誘いの声がありましたが、大学に進学されました。
才木海翔選手の中学時代の素行は
中学時代は、先輩や教師にも敬語を使わず、
「勉強から逃げた」と学業成績も悪い問題児だったそうです。
そして、中学時代は地区敗退が当たり前だったそうです。
才木海翔選手は、中学時代に毎週バッティングセンター主催の練習会に
通ってて、北海道栄高校の渡邉伸一監督に「高校決まってんのか?」
と声を掛けられて、全然決まってない事を伝えると、
「それならウチに来い」と言われたそうです。
北海道栄高校では寮生活で指導者や先輩から徹底的に言葉遣いなど
人間教育を叩き込まれ改心しました。
才木海翔選手は高校時代について「色々教育して頂きました。」
とコメントされています。
そして、オフに帰省し中学校に顔を出すと教師の人達が
「才木が敬語を使えてる」と感動してたそうです。
豊中第六中学校時代は、大阪の中学硬式クラブは激戦区で「練習がキツイのは嫌やった」
と準硬式野球部に入部しました。
才木海翔選手は自身の中学時代を振り返り「楽な道に逃げていた」
とコメントされています。
中学時代は、先輩や教師にも敬語を使わず、「勉強から逃げた」と
学業成績も悪い問題児だったそうです。
そして、中学時代は地区敗退が当たり前だったそうです。
小園、藤原選手との関係は
才木海翔選手は、ロッテの藤原選手と広島の小園選手とは同じ年で、
友人になります。
藤原選手と小園選手は枚方ボーイズ出身で、才木海翔選手とは
別チームでしたが、中学生の頃から週1回は同じ球場で一緒に
練習して来たそうです。
特に、藤原選手とは隣の中学で当時から仲良しでした。
才木海翔選手は藤原選手について「とにかく野球に真面目。
尊敬しています」とコメントされています。
まとめ
才木海翔選手の高校時代は、身長181㎝・体重62㎏で細身の体型でしたが
大学にはいってその才能が開花した選手のようです。
ドラフトでどこが何位指名してくるのか注目の選手ですが
プロにはいってどのように活躍するのか注目の選手です。