古田貴之氏(未来ロボット研究FuRo)のWiki的経歴と職歴と気になる出身高校大学は!

古田貴之氏は世界でも注目されている

ロボット研究家のひとりです。

最近ではテレビにも出演される機会が多くなり

どのような経歴の持ち主なのか気になり

調べてみました。

古田氏は未来ロボット技術研究センター・FuRoの所長をされています。

古田氏所長の「Furo」とは

未来ロボット技術研究センター・fuRo」は、ロボットの研究開発が目的ですが、

「機能とデザインの一体化」ということも目指しています。これは私たちの

コンセプトでもある3つの柱のうちの1つに関わるものです。

「fuRo」の近未来的な施設のデザインなども、それを具体的に表現したものになっているのです。

3つの柱というのは、まず未来のロボットの研究開発をするということ、

そして産学連携(産業界=企業と大学が共同で研究を進めること)をしながらロボットの

新産業を立ち上げること、さらに3つ目がロボットのプロダクトデザインとは何かということ。

機能とデザインを一体化して無駄を省くと同時に、デザインを追求することから

ロボットの性能の向上を目指しています。「morph3」というロボットも、本センターの

施設もそんなコンセプトで出来上がったのです。

私は以前、独立行政法人科学技術振興機構(北野共生システムプロジェクト)で、

ロボット研究チームのリーダーを務めていました。20社以上の企業と連携してロボットの

部品を開発していたのです。しかし、産学連携でロボットの新産業をつくっていくと

いうことに、国の機関という立場では限界があると感じていました。すでにプロジェクト

も終わりに近づいていたので、今までの研究チームがバラバラになってしまうということ

もあり、私たちの研究グループ全員で移籍しようと考えたのです。

ロボットの研究は複合的な研究です。エレクトロニクス、機械工学、人工知能、プログラムなど、

全部の専門家がいないとロボットの研究チームはできません。ロボットの新産業をつくりたい

という気持ちでしたから、どこか1つの企業では出来ない。そこに、千葉工業大学から、

私たちの研究チーム全体を受け容れ、なおかつすべての学部・学科ともつながれるような、

学校法人直轄の研究組織にしましょうという提案があり、ものすごいスピードでこの

「fuRo」の設立に至ったのです。

1968年に東京で父が医者という家庭で生まれ、2歳から7歳までの幼少期をインド(ニューデリー)

で過ごす。アメリカンスクールのナーサリーと幼稚園へ通う。

1971年(3歳の頃)鉄腕アトムの天馬博士を見てロボット博士を志す。当時、通っていた

インドの仏教寺で日本人の高僧、藤井日達の教えを受ける。最後の弟子と藤井から

子供時代に言われていた。日本に帰国後、14歳のとき、サッカーの授業中に突如意識が

飛び昏睡に陥り、2週間後目を覚ますも脊髄の難病(治るのは一万人に一人)にかかり

下半身は麻痺し、余命は持って8年(当時この病に罹って最も生きた人物が8年)

との宣告を受け入院生活を余儀なくされ車椅子が手放せなくなるものの、奇跡の復活。

(出典:https://www.furo.org/ja/whatis/index.html

古田貴之氏のWiki的経歴は

名前:古田貴之(ふるたたかゆき)

生年月日:1968年

出身地:東京都

古田氏は2歳から7歳までの幼少期をインド(ニューデリー)で過ごします。

アメリカンスクールのナーサリーと幼稚園へ通っています。

医者の家庭で育ったそうです。

1971年(3歳の頃)鉄腕アトムの天馬博士を見てロボット博士を志し

当時、通っていたインドの仏教寺で日本人の高僧、藤井日達の教えを受けます。

14歳のとき、サッカーの授業中に突如意識が飛び昏睡に陥り、2週間後目を

覚ますも脊髄の難病にかかり下半身は麻痺し、余命は持って8年

との宣告を受け入院生活を余儀なくされ車椅子が手放せなくなるものの、

奇跡の復活をなしとげています。

古田貴之氏の出身高校大学は

古田氏は幼少期にインドで育ち、インタナショナルスクール

に通っていたと思わます。

高校については、公表されていません。

そして冨山健研究室に憧れ、青山学院大学理工学部入学しています。

青山学院大学大学院理工学研究科機械工学専攻博士後期課程中途退学

しています。

古田貴之氏の職歴は

1998年、科学技術振興機構(文部科学省特殊法人)ERATO北野共生システムプロジェクトに所属。

ロボット開発グループリーダーとして、ERATO北野共生システムプロジェクトに携わり、

ヒューマノイドロボット開発に従事する。

2000年、博士(工学)取得。世界で初めて人工知能を搭載したサッカーを

するロボットやバック転するロボット「morph2」を開発する。

2002年、山中俊治と人間型ロボット「morph3」を共同開発する。

2003年、千葉工業大学未来ロボット技術研究センターfuRo

(Future Robotics Technology Center)所長へ着任する。大学の付属機関ではなく

学校法人の直轄機関として大学とは独立しており、外部との提携など所長裁量決定

できるため、身軽さを武器に、次々に新しい開発を試み、8つの脚を

持つ車型ロボット「ハルキゲニア01」を開発する。それは、坂道、段差でも

車体を水平に維持したままで走行できる8本足の電気自動車プロトタイプモデルであり、

その進化型ロボット「ハルク2」を更に開発し、車輪型から昆虫型、哺乳類型に

変形するこの「ハルク2」は、多くのメディアに登場し、気鋭の

ロボットクリエーターとして世界各国から注目を集めている。

古田氏のロボット開発でとくに有名になったのは、震災時の原発の事故のとき

に、人が離れて作業できるロボットを開発されたことで有名になりました。

その他にも上記にように、数々の偉業を成し遂げている方です。

そして、現在は千葉工業大学が運営する、未来ロボット開発「FuRo」

の所長として、研究開発に没頭されています。

まとめ

今回は、世界でも注目されている、ロボット開発者である

古田貴之氏について調べました。

若い時に難病を患ったことがありながら、見事に目標(ロボット開発)

にむけて成功されている方です。

今後もどのような活躍をされるのか注目したいと思います。

 

 

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