北間優衣選手の気になるWiki的経歴と出身高校大学時代の実績と偏差値は!
パラリンピックが始まり、それぞれの選手の活躍
が目立っています。
そのッ注目選手のひとりに、車いすバスケの北間優衣選手が
話題になっています。
東京パラリンピック車いすバスケットボール女子の1次リーグA組第2戦が行われ、
日本はイギリスに勝利して開幕2連勝を飾りました。
北間優衣選手は好守を披露して、味方を援護する
大活躍でした。
車いすバスケットボール、北間優衣…心身とも準備OKhttps://t.co/IceIok4CrJ#パラリンピック#北間優衣#車いすバスケットボール
— 読売新聞オンライン (@Yomiuri_Online) August 26, 2021
北間優衣選手のWiki的経歴は
名前:北間優衣(きたま ゆい)
生年月日:1994年10月6日
出身地:兵庫県伊丹市
所属:日本生命保険相互会社/カクテル
ポジション:フォワード
北間優衣選手は、先天性二分脊椎症という脊椎の病気の影響で、腹筋背筋から
下がほとんど麻痺している状態のため、3歳から車いすを利用されています。
先天性二分脊椎症とは、主要な先天性奇形であり、脳神経外科、整形外科、泌尿器科などの
治療が必要になりました。
北間優衣選手の出身高校大学の偏差値は
北間選手の出身高校は、兵庫県立伊丹高等学校です。
北間選手は、公立の高校に通っておりました。
兵庫県立伊丹高等学校は、兵庫県伊丹市にある偏差値55の県立高校で、
著名な卒業生には中央大学大学院法務研究科教授の奥田安弘さんや
神戸大学名誉教授の荒川祐吉さん、京都大学名誉教授の
赤岡功さんなどがいらっしゃいます。
高校時代は、高校1年生の時の広州アジアパラで初めて日本代表に選出され、
代表に定着していきましたが、2011年のロンドンパラリンピックで
はわずかな差で出場権を逃してしまいました。
そして、その後は追手門学院大学に進学し卒業されています。
追手門学院大学は大阪府茨木市にある偏差値45.0~50.0の私立大学です。
北間優衣選手は小学校から大学まで養護学校や特別支援学校ではなく
普通校に通っていたということです。
北間選手の実績は
北間選手は、中学生の時はバスケ部に所属するものの、最初はほぼ
マネージャーという立場で、顧問の先生の勧めで、地元の車いすバスケチーム
「伊丹スーパーフェニックス」の練習を見に行ったことがきっかけで
バスケットを始められたそうです。
その後、日本代表選手が所属する強豪チーム「カクテル」に所属し、
中学3年生の時には代表合宿にも招集されています。
車いすバスケットボールでは、各選手に「持ち点」が与えられているのですが、
障がいのレベルに応じて0.5刻みに全8段階に分かれていて、障がいが重い選手の
場合は「1.0」、障がいが1番軽い選手の場合は「4.5」となっています。
北間優衣選手は、障がいのレベルが最も重い「1.0」なのですが、
相手の動きをブロックする守備を得意としていて、チームの勝利に貢献しています。
東京パラリンピックでも、活躍しチームに貢献されています。
https://twitter.com/sports_kobenp/status/1430749541272231946
まとめ
東京パラリンピックに車いすバスケットボール女子選手として
出場されている北間優衣選手を紹介しましたが、本当に
すばらしい活躍だと思います。そして経歴をみても
学ぶべきことがたくさんあって、今後も北間選手に
注目していきたいと思います。