マーク・イートン(元NBA)の気になる死因とWiki的経歴出身大学と意外な前職とは!
訃報が届いていまます。元NBAで活躍されていた
マーク・イートン氏が急死したとのことです。
まだ64歳ということで、まだ若いと思いますが
マーク・イートンの訃報について以下のように伝えています。
マーク・イートン氏の訃報
NBAで今季最高勝率を残してプレーオフに進出しているジャズの元センターで、
1990年に行われたNBA最初の「ジャパンゲームズ(東京体育館)」に、
ジョン・ストックトン、カール・マローンらとともに出場したマーク・イートン氏が
急死。64歳だった。29日にジャズが発表したもので、ユタ州パークシティー在住の
同氏は28日に自宅を自転車に乗って外出したが、道路で倒れているのを通行人が発見し、
病院に搬送されたものの死亡が確認された。事故ではなかったと見られている。
223センチのイートン氏はカリフォルニア州ロサンゼルス郊外のイングルウッドの
出身。水球に熱中していた高校を卒業後、アリゾナ州フェニックスの自動車専門学校に
進学して3年間は修理工として働いていたが、たまたま車を修理に出していた
サイプレス・カレッジ(カリフォルニア州)のアシスタントコーチだった
トム・ルービン氏にその“ビッグサイズ”が目に留まり、スカウトされて“バスケ人生”が始まった。
サイプレス・カレッジ時代の1979年のNBAドラフトで5巡目(全体107番目)
にサンズに指名されたが、UCLAに転校してカレッジ・バスケを続行。そして1982年の
ドラフトで4巡目(全体72番目)にジャズに指名されてNBA入りを果たした。
オフェンス力はなかったものの長身を生かしたディフェンス力は抜群。
ブロックショット王には2度輝き、1988年シーズンに残した平均5・6ブロックショットは
今もなおNBAのシーズン記録として残っている。最優秀守備選手には2度選出され
1989年にはオールスターゲームにも出場。背番号53はジャズとしては初めて
永久欠番になるなどリーグ屈指の名センターとして活躍した。
通算では875試合に出場して6・0得点、7・9リバウンド、3・5ブロックショット。
338試合連続出場も果たしたが、現役生活の晩年は腰痛に悩まされ、1993
年の試合を最後に94年に正式に引退した。
(出典:スポニチより)
The NBA mourns the passing of Mark Eaton, a Utah Jazz legend and former president of the Retired Players Association. Mark was an All-Star, two-time Defensive Player of the Year and beloved member of our league. We send our heartfelt condolences to his family and many friends. pic.twitter.com/7AjsqwMwpt
— NBA (@NBA) May 29, 2021
マーク・イートン氏の死因は
死因については、はっきりしたところはまだわからない
ようです。自転車で散歩に出たときに、路上で倒れていた
ということなので、もしかすると発作でも起きた可能性も
ありますが詳細はわかりません。
マーク・イートン氏のWiki的経歴と以外な前職
マーク・イートンはカリフォルニア州イングルウッドで生まれで、
南カリフォルニアで育ちました。
若い頃は、バスケットボールよりも水球をすることに興味がありました。
ウェストミンスター高校を卒業した後は、フェニックスのアリゾナ自動車研究所に通い、
サービス技術者として卒業しました。彼は約3年間自動車整備士として
働いていましたが、1977年4月にアナハイムで車を修理しているときに
トムルービンによってスカウトされ、NBAで大成功するという
異例のキャリアの持ち主です。
マーク・イートン氏の出身大学は
マーク・イートンは1980年にカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に
転校しています。ただ大学ではあまり活躍する場がなかったようです。
まとめ
NBAのスターであったマーク・イートン氏いついて紹介しましたが
ジャズで永久欠番になっているなど、彼のバスケ界に残した
功績は凄いものがあります。デイフェンスサイドであまり
目立たない活躍かもしれませんが、数字ではとてつもない記録
を残している元NBAの伝説の選手のひとりです。
ご冥福をお祈りします。