小橋賢児のWiki的経歴生い立ち(元ジャニーズの噂)と気になる出身中学高校大学は
小橋賢児氏が注目されています。なぜならば
東京パラリンピックの演出を手掛けていたことが
判明したからです。そしてその評判がすこぶるよかった
ので余計に注目を浴びています。
小橋賢児氏のパラリンピック閉会式の報道
<東京パラリンピック:閉会式>◇5日◇東京・国立競技場
東京パラリンピック閉会式が5日行われ、演出チームのショーディレクターを、
俳優でプロデューサーの小橋賢児(42)が務めていることが同日、分かった。
小橋は88年に8歳で芸能界入り。TBS系ドラマ「青の時代」、
NHK連続テレビ小説「ちゅらさん」などに出演した。07年に芸能活動を休止し、
イベントプロデュースなどを行っていたが、11年に復帰。車いすで生活する
男性のアメリカ横断に同行した12年公開のドキュメンタリー映画
「DON’T STOP!」で監督としてもデビューした。
その後も俳優、プロデューサーとしてマルチに活動。音楽イベント「ULTRA JAPAN」
のクリエーティブディレクターを務めたほか、500機のドローンを使ったショー
「CONTACT」で第6回JACEイベントアワードで最優秀賞を受賞するなど、
クリエイターとしても存在感を発揮している。
5月には聖火ランナーとして沖縄県内を走っていた。
閉会式のコンセプトは「Harmonious Cacophony(ハーモニアス カコフォニー)」
。和訳は示されておらず、直訳すると「調和した不協和音」となる。
(出典:日刊スポーツ)
小橋賢児氏の生い立ちと元ジャニーズの真相は
小橋賢児さんですが、両親は共働きで裕福ではなかったそうです。
大田区の戦時中から残ってる床が抜けてる家に暮らしてたそうです。
1988年、8才で芸能界デビューしますが初めは100回に1度オーディションが
受かる程度だったので、アルバイトをしてたそうです。
中学時代に、新聞配達のバイトをするほどの苦労人です。
バイト募集の際、電話帳の新聞販売店に片っ端から電話を掛けるも、
14歳と言う事で門前払いだったそうです。
当時住んでた大田区・大森から羽田空港のある昭和島あまりまで
毎朝4時に店舗に行ってたそうです。
学校では新聞配達をしてる事を知られたくなかったので、誰も
登校しない時間に新聞配達を終えてたそうです。
新聞配達バイトと同時期に、原宿の駅前の竹下通りのシルバーアクセサリー店
でバイトを始め、最初は商品を袋につめる内職のような事をしていました。
そしてネットでは、元ジャニーズの噂もあるようですが、本人が
否定しています。
今日取材をされてわかったのですが、ウィキペディアに”ジャニーズJr.の研修生としてレッスンを受けていた” と書いてあるそうで、全くそのような事実はない!w どうしてそうなったのか本人も不明…
— 小橋賢児 (@KENJI_KOHASHI) October 21, 2011
https://twitter.com/KENJI_KOHASHI/status/1340492231468204033
小橋賢児氏の出身中学高校は
小橋賢児さんの出身中学校は東京都大田区にある大田区立大森第八中学校
と噂されています。
そして高校については公表されていません。
小橋氏は学生の頃から苦労されており、アルバイトで
家系を支えていたこともあり、学校両立が大変だった
かもしれません。
まとめ
今回パラリンピック閉会式の演出を担当し
そのすばらしさから注目をあびている小橋賢児氏についてしらべました
が中学のころからバイトをして家計を助けるなど苦労されていた
ことがわかりました。苦労されながら、今の栄光をつかんだ
という経歴にとても感銘をうけました。
今後も小橋氏の演出に注目していきたいと思います。