石井四郎(731部隊部長)の晩年と気になる子孫は!?

この時期になると大戦中の情報が特集されますが

そのなかでも、731部隊というのは、日本の軍事史上に

おいても大きな汚点と言われています。

そこに部長として在籍していたのが石井四郎氏ですが

今回はこの石井四郎の晩年についてなど調べてみました。

石井四郎の学歴は

石井四郎氏はとても優秀で、少年期より秀才ぶりを発揮し、

県立千葉中学から金沢の四高を経て、京都帝国大学医学部を

首席で卒業しました。

その後、細菌学、衛生学、病理学の博士号を取得ています。

卒業後の石井四郎の経歴は

石井四郎は研究者ではなく、軍医の道を選んでいます。

石井氏は軍医としては最高の中将となり、国家を動かす

中枢に位置するようになりました。

知的な一方で野心的な行動派の人物で、率先して革新的な

技術開発に携わっています。

そして731部隊を創設し、表向きは軍の防疫対策

や給水技術を研究する組織としていましたが、実際は

この部隊では生物化学兵器の研究やそれに伴う

各種の実験を行われており、非人道的な人体実験を

行っていたとされています。

ここが、歴史上もっとも隠したい事実とされているのです。

欧米視察・研究を行って帰国した石井が「鉄資源などに乏しい

我が国にはこういった(生物・化学兵器)安上がりで威力の

あるものは重要である」などと提言したともされています。

捕虜や囚人、または民間人を集め、彼らを隠語で「マルタ」と

呼んで様々な人体実験を繰り返していたと言われています。

731部隊が戦争裁判で問われなかった理由は

戦後731部隊の存在は隠蔽され、各種戦争裁判でも

関係者の責任は一切問われなかったことは有名です。

その理由として、石井氏が研究の成果のすべてを米軍に

引き渡し責任を不問とする工作が為されたとされています。

石井四郎の晩年は

731部隊関係者の多くは大学に戻り、その後医学会の

重鎮と呼ばれるようになった人物も多く、長らく医学会の

タブーとされてきています。

石井四郎も新宿区内で医院を開業し、近隣の住民が怪我や

病気になると無償で診察、治療を行ったそうです。

晩年は、ひっそりと医療活動を行っていましたが、

昭和34年、石井四郎は喉頭がんのため67歳のときに

亡くなっています。晩年は熱心に寺に通ったと言われており

また、死の10日前にキリスト教の洗礼を受けたと

言われています。

石井四郎の子孫は

長男・彪雄は日露戦争で戦死しています。

そして次男・剛男は陸軍嘱託、三男は陸軍技師として

後に731部隊隊長となっています。

石井氏の家系はみな軍隊に関わっていました。

まとめ

黒歴史といわれている731部隊ですが、石井四郎の

晩年は、実は戦争責任から逃れることに集中していたとも

いわれています。晩年にキリスト教の洗礼をうけたとの

情報もありますが、これも定かではないようです。

石井四郎氏の子孫については、3兄弟とも軍に関わる仕事、

そして長女は父親の秘書的な仕事にに携わっており、石井四郎は

日本の軍事医療と軍の戦略の中心のひとりだったことがわかります。

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