気になるポツダム宣言とサンフランシスコ平和条約の台湾問題の位置づけは!?

第2次世界大戦中の日本と台湾の関係、そして日本の敗戦に伴う

条約について、その後の台湾の位置づけについて調べてみました。

台湾と日本との歴史

日本統治期までの前提(1895–1945)

1895年 下関条約

日清戦争の結果、清国が台湾・澎湖諸島を日本へ正式に割譲

→ 国際法上、日本の主権が確立

1895–1945年

台湾は日本の植民地(日本領)として統治

→ 法的には「日本の一部」

この点は現在も国際的に争いはありません。

 第2次世界大戦と台湾の「帰属」問題

1. カイロ宣言(1943年)【※重要だが法的拘束力は弱い】

米・英・中(蒋介石政権)が発表

内容:

日本が奪取した中国領土(台湾・澎湖諸島など)は

「中華民国に返還されるべき」

ただし

条約ではなく政治宣言

国際法上の主権移転を直接生じさせるものではない

ヤルタ会談(1945年)【台湾は直接対象外】

米・英・ソ連による秘密協定

内容:

ソ連の対日参戦条件(南樺太・千島など)

台湾についての取り決めはなし

=> 台湾の帰属には直接関係しない

ポツダム宣言(1945年)

カイロ宣言の履行を明記

日本はこれを受諾して降伏

しかし:

これも「降伏条件」

主権移転を法的に確定する条約ではない

日本の敗戦直後(1945年)

連合国の命令により:

台湾は中華民国(蒋介石政権)が軍事占領・統治を開始

1947年 二・二八事件などが発生

重要なポイント

➡ 統治は中華民国だが、主権の最終的帰属は未確定

 サンフランシスコ平和条約(1951年)

ここが最大のポイントです。

日本は:

台湾および澎湖諸島に対するすべての権利・権原・請求権を放棄

しかし:

「どこに帰属させるか」は明記されなかった

その 理由は、当時すでに

中国大陸:中華人民共和国(1949年成立)

台湾:中華民国政府が逃れて統治

どちらを「中国の正統政府」と認めるかで連合国が分裂

結果として台湾の帰属は「意図的に未決着」となっています。

中華民国(ROC)と中華人民共和国(PRC)の関係

1. 中華民国(ROC)

1912年成立

1949年、中国共産党に敗北し台湾へ

台湾を拠点に「中国唯一の正統政府」を主張しています。

中華人民共和国(PRC)

1949年成立

「台湾は中国の不可分の領土」と主張

サンフランシスコ平和条約には参加していない

まとめ:現在の国際法上の整理

現在の整理は、大きく3層あります。

① 日本の立場

台湾に対する主権は放棄

帰属先については立場を取らない

② 中国(PRC)の立場

台湾は中国の一部

カイロ宣言・ポツダム宣言を根拠

③ 台湾(事実上)

独自の政府・軍・通貨・司法・選挙を持つ

国際法上は「国家承認」が限定的

事実上の独立国家(de facto state)

なぜ台湾問題は「未解決」なのか、のポイントは

視点 ポイント

国際法 主権移転を明示した条約が存在しない

冷戦 米ソ対立で政治的妥協

中国内戦 中国側の正統政府が分裂

現実 台湾が独立した統治を継続

台湾は、日本の敗戦によって日本の領土ではなくなったが、

どの国家に主権が帰属するかは国際法上明確に確定されておらず、

その空白の上に中華民国・中華人民共和国・台湾住民の立場が

重なって現在の問題が続いています。

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