大野京子(東京医科歯科大)のWiki的経歴と気になる出身高校大学と結婚は!

大野京子氏が、「情熱大陸」に出演されます。

大野氏は、近視の研究の第一人者で、東京医科歯科大学教授・

眼科医の第一人者と言える方のようです。

そこで今回大野京子医師について調べてみました。

大野京子医師の記事

近年、世界的に「近視」になる人が急増している。

スマホ、タブレットが当たり前になり、特に低年齢化が

深刻だ。近視専門の学会を立ち上げ、生涯を近視研究に

捧げる東京医科歯科大学の大野京子がドキュメンタリー番組

「情熱大陸」(MBS製作著作/TBS系全国ネット、

7月16日午後11時~)に登場する。  彼女は、

「Queen of Myopia」(近視医療の女王)の異名をとる。

世界初の専門外来として眼科研究をリードする「眼科学教室」

の第5代教授として、光学機器を共同研究したり、国際

スタンダードになった手術法などを開発したりと、

眼科医学の先端をひた走る。  精神的なものが理由とさ

れがちな面もあるという目の病気。大野は、その真実を

追求したい、という揺るぎない信念を持ち、教授と

なっても週に2日以上は必ず患者と向き合い現場を大切にする。

その理由とは?  また、大野にとって目という器官は、

まだまだ知られざる領域が広がる分野で、しかも「美しく」

見ていて「喜びを覚える」という、なぜそんなに目に

惹かれるのか、その秘密も紐解いていく。  さらに、

大野が医師や教師と無縁の家庭に生まれながら医者となり、

女性として世界的な研究成果を残してきたわけにも迫る。

超多忙の中の家族のサポート、そして最大の岐路として、

医者を諦めようと思った時にかけられた母親のある言葉が、

大野の人生の鍵を握っていた。

(出典:毎日新聞)

https://news.yahoo.co.jp/articles/0baef2f867e2443fcdc9b12cf7e734e35756a07c

大野京子医師のWiki的経歴

生年月日】1963年3月生まれ

出身地】 三重県志摩市

現在年齢は、60歳です。

1987年 横浜市立大学医学部卒業

1990年 東京医科歯科大学眼科医員

1994年 東京医科歯科大学眼科助手

1997年 東京医科歯科大学眼科講師

1998年 文部省在外研究員(Johns Hopkins大学)

1999年 東京医科歯科大学医歯学総合研究科講師

2005年 東京医科歯科大学医歯学総合研究科助教授

2007年 東京医科歯科大学医歯学総合研究科准教授

2014年 東京医科歯科大学 大学院医歯学総合研究科 医歯学系専攻
認知行動医学講座 眼科学 教授

出典:https://medical.jiji.com/doctor/2555

大野京子医師は、眼鏡の度数がマイナス6以下の

強度近視や、矯正では改善できず失明にいたる恐れのある、

病的近視」の治療や研究における国内外での第一人者で、

オピニオンリーダー的な存在です。

2016年には日本近視学会を設立し理事長に就任、近視

治療のガイドラインの策定や病的近視の原因解明などの

研究や啓発活動にも積極的に取り組んでいます。

大野京子医師の出身高校大学は

大野医師の出身大学は、

横浜市立大学医学部です。

横浜市立大学医学部は国公立大学の医学部の

中でも難易度は高いです。

大野京子さんは一般の家庭で育ったそうです。

大学では当初皮膚科の研修を受けていましたが、

途中から眼科に転じ、眼科医・研究者としての道

を進んでいくことになります。

大野京子医師の結婚は

大野京子医師は結婚されているようです。

旦那さんも同じ眼科医のようです。

大学時代、大野京子医師が当初皮膚科で研修をしていまし

たが、この時に現在の旦那さんから眼科を勧められ

眼科に進んだ経緯があったそうです。

大野京子医師が教授を務める東京医科歯科大学「眼科学教室」の

教授あいさつのページに、

ローマ字で matsui と本人が紹介されているので

大野という名前は旧姓なのかもしれません。

まとめ

今回は、「情熱大陸」にも出演された、大野京子医師について

調べました。日本の眼科医の第一人者のような方で

今後の活躍にも注目したいと思います。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

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