渡部カンコロンゴ清花のWiki的経歴と気になる出身高校大学と活動は!
渡部カンコロンゴ清花さんは、最近テレビのコメンテーターと
してよく拝見します。
そこで気になるのが、渡部清花さんがどんな経歴の
方なのかということで、今回は、渡部さんについて
調べてみました。
渡部カンコロンゴ清花さんのWiki的経歴
本名:渡部 清花(わたなべ さやか)
出身:静岡県浜松市、富士市育ち
生年月日:1991年4月8日
日本の社会起業家、難民問題研究家、チャクマ語(バングラディシュチッタゴン丘陵地帯)通訳者、
です。また日本語教員。使用言語4ヶ国語です。
現在は東京大学大学院 総合文化研究科 国際社会科学専攻 修士課程在学
教育NGO「ちぇれめいえproject」を仲間と立ち上げ現地との交渉に
6ヶ月以上をかけて準備し、駐在員として自費で単独1年間滞在しています。
費用を減らすため、仏教寺院が母体で運営している学校の業務を
ボランティアで行い、交換に衣食住の提供を寺院から受け、村の寄宿舎学校に
滞在しています。現地の若者たちと豚の飼育で村の教育資金を作る事業を
共に立ち上げています。現地での活動はトータル2年に及び、その中で、
日本で2人しか話せない今では口承言語となった、チャクマ語(ベンガル語版、英語版、ポルトガル語版)
をマスターしています。
現在は日本に逃れてきた難民の活躍機会を創出するNPO法人WELgee代表理事をされています。
学生時代はバングラデシュの紛争地にてNGOの駐在員・国連開発計画(UNDP)
2019年に東京大学大学院「人間の安全保障プログラム」修士課程修了。
Forbes 30 under 30のJapan & Asia 選出されています。
https://www.instagram.com/p/CcqHDpcP588/
渡部カンコロンゴ清花さんの出身高校大学は
渡部さんは、静岡県富士見高等学校卒です。
渡部さんは富士市で育ったので、そのまま地元の高校を
卒業されたようです。
そして大学は静岡文化芸術大学に進学。
3年時、国際協力のゼミのフィールドワークでバングラデシュを訪れます。
紛争地域であり、危険なため、ゼミのフィールドワークでは行くことのできない
バングラデシュのチッタゴン丘陵という先住民族が暮らす紛争地に単独で向かい、
現地の生活を知りました。最終日に先住民族とベンガル人の衝突に巻き込まれました。
交通規制で帰国を妨げられ、地域内の軍による保護を受けました。
帰国途上、チッタゴン丘陵の平和のためにできることがないかともう一度
戻ることを決めました。
渡部カンコロンゴ清花さんの活動記事
難民受け入れに厳しい日本で、24歳から難民支援活動を始めた渡部さん。
学生時代はバングラデシュの紛争地帯でインターンを経験し、
帰国後に難民支援団体を立ち上げた。そんな渡部さんに「難民と日本社会」について聞いた。
── 2021年3月、スリランカ出身のウィシュマ・サンダマリさん(当時33)が
収容施設で亡くなった事案や、事実上の廃案となった入管法改正案など、
21年は難民問題への注目が高まった1年でした。渡部さんが代表を務める
難民支援団体「WELgee(ウェルジー)」ではどのような活動を行っているのですか。
渡部 難民として日本にやってきた20~30代の若者と一緒に、難民が活躍できる社会の
実現を目指し、人材紹介サービス「JobCopass(ジョブコーパス)」などを行っています。
難民というと、「危ない人たち」「可哀そう」「貧しそう」などといった
ネガティブなイメージを持たれることがありますが、実際は全然違います。
祖国ではプログラマーとして働いていた人、多言語を操るジャーナリスト、
修士課程を修了している人など、実は高度人材の宝庫なんです。
https://mainichi.jp/premier/business/articles/20220128/biz/00m/070/005000d
(出典:週刊エコノミスト)
まとめ
今回は渡部清花さんについて紹介しましたが、難民活動に力を
入れ、なんといっても、チャクマ語もしゃべれるほどの
努力家の方であるということです。
教育NGOを仲間と立ち上げ現地との交渉に
6ヶ月以上をかけて準備し、駐在員として自費で単独1年間滞在しています。
費用を減らすため、仏教寺院が母体で運営している学校の業務を
ボランティアで行っています。現在は社会起業家として
活躍されている渡部カンコロンゴ清花さんの今後の活躍
に注目したいと思います。