津田梅子の華麗なる家系と西郷隆盛との関係は!

新元号のはじまりとともに、政府が日本の紙幣を

2024年に刷新する予定であることを発表しました。

1万円札に渋沢栄一、5,000円札に津田梅子、1,000円札に

北里柴三郎ということが決まっています。

そこで、新五千円札の顔になる津田梅子さんについて

実際になにをされたのか、とくに津田さんは海外留学の

先駆者としても活躍されていることから、大学と留学

について取り上げたいとおもいます。

津田梅子の経歴と岩倉具視視察団の随行経緯

津田梅子さんの経歴をざっと年表にするとこのようになります。

1864年:江戸に生まれる

〜:手習いや踊などを学び、父の農園の手伝い

1871年(6歳):岩倉使節団に随行しアメリカ留学

1871年(6歳):画家のチャールズ・ランマン夫妻の家に預けられる

1873年(8歳):フィラデルフィアの独立教会で洗礼を受ける

1878年(13歳):コレジエト校を卒業

1878年(13歳):アーチャー・インスティチュートへ進学

1882年(17歳):帰国

1883年(18歳):伊藤博文と再会、英語指導や通訳のため雇われる

1885年(20歳):華族女学校で英語教師に

1888年(23歳):再度の留学を決意

1889年(24歳):再び渡米

1890年(25歳):リベラル・アーツ・カレッジ、ブリンマー・カレッジで生物学を専攻

1892年(27歳):帰国、再び華族女学校に勤める

1894年(29歳):明治女学院でも講師を務める

1898年(33歳):女子高等師範学校教授を兼任

1900年(35歳):女子英学塾(現在の津田塾大学)の設立、塾長に

1903年(38歳):専門学校令が公布、塾を社団法人に

1919年(54歳):塾長を辞任

1929年(64歳):脳出血のため死去

1948年:津田塾大学として正式に落成・開校されました。

岩倉使節団に随行する

このなかでもっとも有名なことは、当時6歳で岩倉使節団に

随行して渡米したことです。

これは凄いことです。6才で随行して渡米なんて凄すぎます!

津田梅子さんは、何度も渡米しています。

当時から海外に行ける人なんてそんなにいなかったはず

ですし、6歳で海外留学派遣なんて今でもあまりない

ことですよね。

津田梅子さんは海外生活によって日本に戻った時は、

日本語が全然話せなくなっていたなんてこともあったようです。

津田梅子の華麗なる家系は

津田梅子さんは生涯未婚を貫いたようですが

甥である津田眞という方を養子にしています。

津田さんの兄弟の息子さんを養子にしています。

そしてこの津田眞の娘のあい子という方が、西郷隆盛

の曾孫である西郷隆晄と結婚しています。

ということは、津田家と西郷家という凄い家系

がここに結びついたことになります。

そしてその次男の津田直さんという方がいるのですが、

祖父の津田眞と養子縁組をしたことで、2000年から

津田家の当主になったということで、津田梅子さんの

直系ではありませんが、現在も甥の血縁から子孫が

残っています。

まとめ

新たに発行される5,000円札には、「女子教育の先駆者」

と評され、津田塾大学創始者である津田梅子さんが採用

された背景には、津田さんが女性として海外留学とまた

国内でも教育活動の先駆者としてふさわしい人物であります。

津田塾大学の創始者ですが、それまでにも、江戸時代という

閉鎖された時代の中で、海外教育を取り入れた先駆者として

歴史に名を刻んだひとりといっても過言ではありませんね。

また津田梅子さんがあの西郷隆盛とも家系的にもつながりを

もっていることも興味深いですね。

 

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