森忠仁事務局長のWiki的経歴と凄い職歴と気になる出身高校大学は!

報道によると、ロッテの契約更改をめぐり、

球団とプロ野球事務局長の間でくいちがいが

でているようです。そのなかでも事務局長である

森忠仁氏についてその経歴などについて調べて

みました。

森忠仁事務局長が異例の所感

労働組合・日本プロ野球選手会は6日、大阪市内で定期大会を開催。

ロッテが今年の契約更改交渉を一律25%ダウンから始めると説明して

いることに選手会が抗議文を送った問題を受け、出席した29選手が

契約交渉の事情を説明するなど活発に意見交換した。大会後には

森忠仁事務局長が異例の所感を発表。12球団に対し、契約交渉に

おける選手の立場の改善などを強く求めていく姿勢を示した。

所感ではここ数年で今回のロッテの問題だけでなく、

契約交渉に関して憂慮すべき事象が数多く生じていると指摘。

昨年も査定方法の説明が不十分として中日へ抗議文を送った。

「“選手と球団は対等の立場”という精神からかけ離れた現状は看過できない」

と訴えた。森事務局長は、日本ハム・西川らがノンテンダーとして

自由契約となったことや、巨人が大量の選手を育成契約とする

方針を示したことについても議論したとして

「制度に問題があるなら変えないといけない」と強い口調で話した。

(出典:スポニチより)

森忠仁さんのWiki的経歴は

森忠仁さんのwiki風プロフィールですが

名前:森忠仁(もりただひと)

生年月日:1962年6月2日生まれ

出身地:千葉県千葉市幸町

ポジション:外野手

で元プロ野球選手です。

中学・高校時代などの経歴は

1975年、幸町中学校からは、平日は学校の野球部で

休日は近所の硬式野球チームに所属する

1977年、全国大会優勝 日本代表で渡米しています。

森忠仁さんの出身高校大学は

1978年に強豪・千葉商業高校に進学ています。

投手を務めるも、1979年夏頃に肩を壊してしまう

高校時代は、甲子園に出場していません。

そして大学は進学していません。

森忠仁さんの職歴は

森忠仁の阪神時代の成績やプロ引退後の職歴に

ついてですが、1980年、ドラフト外で阪神タイガースに入団します。

投手として入団するも、強打を活かすために、外野手転向します。

6年間プロを務め、5年目のシーズンはオープン戦でヒットを打つなど

活躍を見せるも、プロでの1軍入りはできませんでした。

その後阪神を戦力外になり、複数の入団テストを受けるも

不合格で、プロを引退されます。

プロ野球選手時代(在籍年数:1981~1986年)の成績は

ウエスタンリーグ 出場270試合 安打85 打点48 本塁打12 打率.215

でした。

プロ引退後の職歴は、地元でお世話になってた人に相談し、

小さな証券会社を紹介して貰い10年ほど勤務する

証券会社では「場立ち」という仕事をしていました。

その後、保険代理店に転職し、営業職などを務めます。

保険代理店に勤めてた頃に、先代の日本プロ野球選手会事務局長の

松原徹さんからから誘われました。

松原徹さんは、プロ野球界出身で一般企業社会経験者を探してたそうです。

数年後の2000年に松原徹さんが事務局長に就任し、再び声をかけてもらい、

選手会で働く事を決めました。

松原徹さんから「現役選手とためにも、おかしいと感じたところを変えていかないか?」

と言われ、自分の力を活かせるならと転職を決めたそうです。

そして、最低年俸の引き上げ、統一契約書の見直し、オフシーズンの確立、

球場の安全対策(地方球場のラバーフェンス設置やダグアウトの

エアコン設置など)を取り組まれたそうです。

2015年、松原徹さんが亡くなったので、日本プロ野球選手会事務局長に就任

して現在にいたっています。

まとめ

森忠仁事務局長について調べましたが、森氏はプロ野球時代

は目が出ませんでしたが、引退後いろんな社会経験を

されていることがわかりました。とくに証券会社の場立ち

や保険会社の営業員というのは、とても苦労が多かったと

想像します。

そうした経験をいかして、現在はプロ野球の事務局長として

活躍されていることがわかりました。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です