加藤直人(日本大学学長)のWiki的経歴と出身高校大学の偏差値は!

日本大学の前理事長問題が連日報道で

取り上げられるなかで、会見に対応した

加藤直人学長の発言が話題となっているようです。

そこで、今回は加藤直人学長について調べて

みました。

加藤直人学長の会見内容

日本大学は10日、前理事長の田中英寿容疑者(75)が所得税法違反(過少申告)

の容疑で逮捕された件などを受けて記者会見を開催。加藤直人学長は

「日本大学は田中前理事長と永久に決別し、その影響力を排除します」と述べた。

続けて加藤氏は「今後一切、彼が日本大学の業務に携わることを許しません」

と強調。役員報酬や賞与、退職慰労金なども一切支給しないとした。

日大の会見といえば、2018年のアメフト問題の時に〝迷〟司会が話題になった。

当時は日大広報部の人間が会見の司会を担当。同じ質問が続いたことに「キリがない」

と言い放つなど報道陣と衝突。記者から「司会者の発言で日大ブランドが落ちて

しまうかもしれませんよ」と言われ、司会者が「落ちません!」と言い返した場面を

覚えている人も多いだろう。

しかし今回は、3年前の荒れた会見とは違っていた。司会は広報部ではなく

学務部が担当し、丁寧に進行。当初は午後6時から8時までの予定だったが、

8時になっても記者たちが挙手しているのを確認すると、続行を決断。挙手がなく

なるまで質問を受け付けた。

あの「落ちません!」発言の司会者はどうしたのか? 聞いてみたところ、

日大関係者は「彼はもう辞めています」と明かしたうえで「今回は学務部長が

司会をしました。過去に会見の司会をしたことがあり、その経験を買われてです」。

さらに「アメフト問題の会見の反省があったのか」と問うと、

「今回はきちっと準備をして臨みました」と述べた。

これ以上、日大ブランドを下げるわけにはいかないということだろうが、

実際にどうなるかは今後の取り組みにかかっている。

(出典:東京スポーツ)

加藤直人学長のWiki的経歴は

昭和26年東京都生まれと書かれています。

1951年生まれの年齢は70歳くらいと言う事になりますね。

そして職歴経歴は

1979年、日本大学助手

1986年、日本大学専任講師

1990年、日本大学助教授

1997年から日本大学文理学部教授

2003年~2006年、日本大学本部学務部長

2010年~2019年、日本大学文理学部長、学校法人日本大学理事、

大学院文学研究科長、大学院総合基礎科学研究科長

2013年~2019年、日本大学副学長

この間、日本大学図書館長、学長代理・代行などを歴任

2015年~2018年、学長 代理・代行者

2019年~、学校法人日本大学理事

2020年、大塚吉兵衛の後任として第14代日本大学学長に就任

2021年、日本私立大学連盟理事を辞任

さらに、文部科学省、一般社団法人日本私立大学連盟、公益財団法人大学基準協会、

満族史研究会会長、内陸アジア史学会常任理事、東方学会学術委員などを務めています。

そして、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所共同研究員、

公益財団法人東洋文庫兼任研究員、中国人民大学清史研究所兼職教授、

吉林師範大学兼職教授などを歴任しています。

加藤直人学長の出身高校大学の偏差値は

加藤直人氏はずっと日本大学ですごされているようです。

偏差値は50台の半ばです。

1974年、日本大学文理学部史学科卒です。

1976年、日本大学院文学研究科史学専攻修士課程修了

1979年、日本大学大学院文学研究科東洋史学専攻博士後期課程満期退学

2014年、「清代文書資料の研究」(早稲田大学・乙第4257号)で博士(文学)

このように日本大学で文学史学を研究されている方のようです。

出身高校に関しては不明でした。

加藤直人学長は、専攻は東洋史で博士(文学)になります。

まとめ

以上、記者会見で話題となっている、日本大学学長

加藤直人氏について調べましたが、学生時代から

ずっと日本大学一筋の方であることがわかりました。

記者会見で言っていた内容が実現するのかどうか

今後注目してみたいと思います。

 

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