アングロ・サクソン七王国とイングランド王国とイギリスが誕生する経緯は!

イングランド王国以前の王朝についてと

現在のイギリスの国が発祥する経緯について

調べてみました。

イングランド王国が成立する前のブリテン島(現在のイングランドを含む地域)には、

いくつかの異なる王国や民族が存在していました。主なものは以下の通りです。

ローマ帝国統治時代(43年~410年)

ブリテン島はローマ帝国の属州「ブリタニア」として支配されていました。

ローマ統治下では多くのローマ式都市や道路、イン

フラが整備されました。

ケルト系王国(ローマ撤退後~5世紀末)

ローマ帝国が撤退した後、ブリテン島にはケルト系のブリトン人が

支配する小王国が乱立しました。有名なものにゴドディン王

国、エルメット王国、リンディスファーンなどがあります。

アングロ・サクソン七王国(ヘプターキー、5~9世紀)

5世紀以降、ゲルマン系のアングル人、サクソン人、ジュート人がブリテン島に

侵入し、次第にケルト系勢力を北西へと追いや

りました。

この時代、下記の七王国(ヘプターキー)が生まれます。

ノーサンブリア

マーシア

イースト・アングリア

エセックス

ケント

サセックス

ウェセックス

最終的に、これらの王国の中からウェセックス王国が統一の中心となります。

イギリス(イングランド王国)発祥の経緯

9世紀ごろ、七王国時代の中でウェセックス王国の力が突出し始め、

特にアルフレッド大王(在位871-899年)の統治下でデーン人(ヴァイキング)の

侵攻に対抗して各王国をまとめていきました。

10世紀初頭、アルフレッドの子孫であるアゼルスタン王(在位924-939年)

が927年に他の王国を征服し、初めて「イングランド王」として名乗ります。

ここがイングランド王国のはじまりと言われます。

以後、イングランド王国はイングランド中部から領土を拡大し続け、

やがて後世のイギリス王国(連合王国/グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)

の母体となります。

補足:

イングランド王国成立以前の王朝は「アングロ・サクソン七王国」

およびローマ帝国などが中心であり、その混乱と統一の過程が

イギリスの国の発祥に大きな影響を与えました。

イングランド王国から現在のイギリス(正式名称:グレートブリテン及び

北アイルランド連合王国)が誕生した経緯は、数世紀にわたる「統合」

と「合同」の歴史的プロセスを経ています。

主要な流れ:

イングランド王国の成立と発展

10世紀にイングランド王国が成立し、1066年のノルマン・コンクェスト以降、

王権と国力が強化されました。

ウェールズの併合(1282年、1536年)

1282年にウェールズ公国を実質的に征服、そして1536年の

ウェールズ諸法(Acts of Union)でイングランド王国に正式併合され、

現在もイングランド王室の王位継承者は「プリンス・オブ・ウェールズ」の称号を持ちます。

スコットランドとの同君連合〜合法的合併

1603年:スコットランド王ジェームズ6世がイングランド王ジェームズ1世として即位し、

「同君連合」となりました(王は同一人物だが、国は別)。

1707年:合同法(Act of Union)でイングランド王国とスコットランド王国が合併し、

「グレートブリテン王国」となりました。

アイルランドの合併と分離

1801年:新たな合同法(Act of Union 1800)でアイルランド全島が正式に加わり、

「グレートブリテン及びアイルランド連合王国」になります。

1922年:アイルランド(南部)が英国から独立し(アイルランド自由国→現アイルランド共和国)、

残った北アイルランドのみが現在の「グレートブリテン及び

北アイルランド連合王国(United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)」となりました。

現在の「イギリス(UK)」の構成

イングランド

ウェールズ

スコットランド

北アイルランド

まとめ

つまり、「イギリス」はイングランド王国が中心となり、

ウェールズ、スコットランド、アイルランドを段階的に併合・統合してきた

国家であり、現在は主に「イングランド+ウェールズ+スコットランド+北アイルランド」

の連合王国です。

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