イスラエル、パレスチナ問題は長い歴史と根深い問題

イスラエルとハマスとの間で戦闘がおきています。

この戦いは、幾何度となくいざこざが続いていました。

この問題を取り上げると、パレスチナの歴史について触れないわけにはいかないと思います。

歴史をかなり前にさかのぼると、この地域はオスマン帝国が支配していました。

第一次世界大戦後、大英帝国のもとパレスチナ委任統治がはじまります。

その後、第2次世界大戦後の1948年にイスラエルが独立宣言し、パレスチナに侵攻、これをきっかけに第一次中東戦争がはじまります。

イスラエルとアラブの戦いとなった中東戦争だが、アラブの分断もあってイスラエルがこれに勝利し、パレスチナに住んでいた70万ー80万人のアラブ人が難民と化してしまいました。

これには、イスラエルユダヤ人の軍事組織によって追放されたとの主張と、アラブ人が自主的にパレスチナから去っていったと両者の意見の食い違いが生じています。

1949年にイスラエルとエジプトとの間で停戦協定が結ばれ、パレスチナの約80%をイスラエルが占拠し、20%はトランスヨルダンが支配した。ガサ地区がエジプト領となり、パレスチナ難民が押し寄せて流入してきました。

第4次中東戦争を経た後、イスラエルとパレスチナ解放自治区(PLO)とのオスロ協定が成立。

1996年にイスラム原理主義はハマスにイスラエルへのテロ攻撃が激化し始めます。

2006年1月のパレスチナ総選挙でハマスが第一党となりパレスチナにハマス政権が発足すると、一方の党ファタハとの間で武装衝突が激化するなど混迷を深めています。

アルファト議長の死後、PLOの後継者となったアッパース議長とハマスの代表ハニーヤ首相との間で国境線の合意、これにイスラエルが反発、ハマス政権をテロ組織として、政権とみとめていない、イスラエルはガザ地区への介入を強めてきます。

今回の戦闘は、パレスチナの少年の殺害をきっかけとなり報復合戦がエスカレートし戦闘にまで発展しています。

今までのの戦闘と違うのは、ハマスがガザ地区からイスラエルの内部まで到達するロケット弾を発射し多数の犠牲者が出ていること。

戦闘が大規模化して、収拾がつかない状態に陥っていることが大きな懸念です。

 

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