ウクライナ情勢をわかりやすく解説します

ウクライナ情勢、問題が解決の糸口がつかめないままです。

今回はロシアとの問題につながっている、ウクライナの歴史

または地理的背景そして今後のウクライナ情勢をわかりやすく

解説してみたいと思います。

 

 

ウクライナは歴史的、文化的には、中央、東ヨーロッパの

国々との関係が深いです。

歴史をひもとくと、キエフ対広公国が13世紀にモンゴル帝国

に滅ぼされた後は、リトアニア大公国やポーランド王国に

属していました。

17世紀、18世紀の間にはウクライナ・コサック国家が興亡し

た後はロシア帝国の支配下にはいりました。

ウクライナは第一次世界大戦後に独立を宣言しますが、ロシア内戦

を赤軍が制したことで、ソビエト連邦内の構成国となりました。

 

ソビエト連邦の崩壊後、ウクライナは独立し、政治体制は、大統領制と

議員内閣制をミックスした半大統領制を採用しています。

ということで、ウクライナはもともとは、独立国家であり、ロシアやソ連

には、強制的に支配下に置かれた歴史をもっています。

ウクライナ領域には、ロシアの核施設や、南部にはロシアの重要な

軍事施設があります。

また、ウクライナ東部には、重要なガスパイプラインがあり、ここは

豊富な資源と軍事拠点がウクライナ東部に集中しています。

ドネツク州を中心とした親ロシア派による独立紛争は、ソ連時代に

ロシア人が占拠していた背景もあり、ロシア語がつかわれていますが、

これは、あくまでロシアの占領下時代にロシアから流れたきた人たち

の文化で、もともとのウクライナ国家とは違います。

東ウクライナで独立を企む親ロシア派は、ロシアの援助による豊富な

エネルギー資源と軍事拠点をウクライナ政府から切り離したいとの

思惑で内戦を繰り広げているのが今の状態です。

ロシア自体は、この親ロシア派に関与していないと主張している手前

表だっての関与は控えて、ウクライナとの停戦協定は結びましたが

まずは、大事な分岐点の一つになりそうなイベントが、10月26日

のウクライナ最高会議選挙であり、もしポロシェンコの党派が多数を

とった場合は、現在の親ロシア派との妥協点を導き出す路線から

親ロシア派に対して強硬路線をとる路線に転化することも考えら

れます。その条件としては、NATOから武器なども含め支援が得られる

ことですが、その場合、ロシアも強硬路線への突入していくことを

余儀なくされ緊張がたかまることが考えられます。

ポロシェンコ、プーチン大統領とも、側近に強硬路線を唱えいる

物がいるだけに、現在の停戦協定は微妙なバランスのうえにたって

いると思われます。

まずは10月26日のウクライナ最高会議の選挙結果が大事な

分岐点となると思われます。

 

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