ウクライナの歴史とロシアとの関係

ウクライナの西側は旧ポーランド王国時代がありますが、
東側はソビエトに占領されていました。

ウクライナの東側はロシア系住民なので、民族主義的な感情
は高まりませんが、ロシア帝国時代に農奴から生じたウクライナ
コサックという人たちが住んでいましたが、絶滅施策に遭い
その後ロシア系住民が移入して入れ替わった背景があります。

今、ウクライナ東側に住んでいるロシア系の住民は厳しい
民族経験を持っていないのです。

ロシアは旧ソ連諸国に格安で天然ガスを供給していましたが、
親欧米政権となったウクライナは、ヨーロッパとの市場開放
を主張しはじめたため、ロシアはウクライナに対する天然
ガスの値上げを決定しました。

この値上げに対して、ウクライナは未払いが発生、ロシアと
の交渉で、料金をロシア国債価格の半分まで折り合いをつけました
がいまだ未払いの状態が続いています。

2010年のウクライナ選挙で親ロシア派のヤヌコビッチが勝利
すると、再びロシアはウクライナに対する支援を打ち出します。

ところが、2013年に反政府デモが勃発、今年の2月には
ロシア派大統領、ヤブコニッチ氏が逃亡、これを機にロシア
がクリミアを武力でもって占拠し、また東部の地区でも独立
運動が起きるなか、現ポロシェンコ氏が選挙にて選出され現在
に至っています。

ポロシェンコ大統領は、ロシア語の公認、文化継承を容認し
沈静化を図ろうとしていますが、親ロシア派分離の武力勢力
との衝突は収まらず、エスカレートするばかりです。

ウクライナの西側と東側では歴史的にも別の苦渋を味わった
経緯があり、以前ウクライナがソ連連邦下にあった時代は
西側は貧困に悩まされた歴史があります。またチェルノブイリ
原子力もかかえており、国家予算の一割をも負わされています。

一方で、東側には豊富な地下資源があり、もともとロシア人
が居住していた背景から、これ機に独立してしまうと機運と
ロシアがそれを援助している構図が出来上がっています。

ウクライナ東側を豊富な地下資源とパイプライン、そして
黒海につながるルートもあるため、ロシアしてみたら、これを
機にロシアに取り込みたいとの本音が見え隠れし、当然それを
許さない現ウクライナ政権との間での対立構造が深刻化して
います。

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